イノセンス

とっても可愛らしい子役さんが、可愛らしいAV女優さんになってるらしい。

と、先日ご紹介した、伊東遥さん。
いくつか動画を探して、観た。


第2作なのかな、作品中の彼女も、実に愛らしい。
無邪気に、気持ちよさそうに。
セックスって、素晴らしいよなぁ・・・って想った。


一方で、インタビューなどの動画は、
ごく最近まで、14歳のころの感じがそのまま残る、照れながらも素直な表情だったのが、
ここ1ヶ月ほどだろうか、目が笑っていない感じに。
もしかして、

883 名前:名無しさん@ピンキー mailto:sage [2009/04/09(木) 01:29:44 ID:0NN6CP4w]
>>882
アイドル時代によく握手会に行ってて、
AV女優になってからは気まずくて行けなったんだが、何回か目に行ったら、
「お久しぶりですね」って覚えててくれたんで、
なんて言っていいか分からないんで「頑張ってください」って言ったら、
「はい!ありがとうございます!」って言ったあとに、
小さい声で「こんなになっちゃってごめんなさいね。嫌いにならないでくださいね・・」
って言われた時は心臓を掴まれたような気持ちになった。
あれから握手会に行けないでいる。

の書き込みに、ショックを受けたのだろうか・・・。
いやいや、動画や写真で、なにがわかるってわけもないんだけれど(^^;
いま、遥さんのBlogを観てみたら、4/8の写真にも”目が笑ってない感じ”を受けたから、書き込みは関係ないのかも。


無邪気で居てほしい。
無邪気だからこそ、計算なんかせずに、喜びを全身で表現して、
社会の固定観念とぶつかって、”こんなになっちゃって”って想い、想われて、
それでも、だからこそ、無邪気で居てほしい。


”心臓を掴まれたような気持ち”は、遥さんのかけがえの無さが呼び起こしたもの、だもんねぇ。




20年ほど前、セミナーの説明会で、簡単な実習をしたときのこと。
参加者同士、ぱっとパートナーを組み、ひざがぶつからない程度に椅子を向かい合わせて座る。
ひとりが「なにが欲しいですか?」と問いかけ、もうひとりは、思いつくままに答える。どんどん問うていくうちに、だんだん答えが変化していったり、ある答えに落ち着いたり。
とっても簡単で単純な実習です。


その日、僕が組んだ相手は、とても美しい女性でした。
問うていくうちに・・・不思議な体感があった。
それまで何回も、この実習を経験したことがあったのに、こんな体験は初めてでした。
目と目は1mは離れていたはず。なのに、彼女がどんどん大きくなって、そのまなざしに吸い込まれてしまうような、包まれてしまうような・・・。
彼女がいま、なにを感じ、どんな体感をしているのか、ありありとわかる。彼女と僕とに、まったく境界が無い。こころが一体となって混ざり合ってしまったような。
彼女の純粋さや、無邪気さや、愛らしさが、ひしひしと感じられました。
確信しました。

こんな素晴らしい本質を、ただ輝かせているだけで、彼女は必ず幸せになる

・・・と。


あとで気づきました。彼女が、とても有名なAV女優さんだということに。
そして彼女は、あのときこころから望んでいたものを、まだ、手にしておられないようです。


僕にとっては、彼女は大恩人です。
人生の中で、ほんの数分間向き合っただけ。
今振り返れば、あの数分間で僕は、テイラー博士の言う”涅槃を感じる力”をはじめて回復したんです。
もしあの体験が無かったなら、この20年、僕の感じる世界は、どれほど表面的で薄っぺらかったことか。
彼女の純粋さと、痛みと、切望とが、僕のくだらない”自我の壁”を飛び越えてくれた。


彼女がどうか、こころからの望みを、手にされますように。
彼女が、あの愛らしさをそのまま輝かせて生きられる、そんな社会になりますように。
彼女がどうか、ご自身でご自身の素敵さを、とことん実感して生きられますように。




時代は動いています。




その更に数年前、ラジオ番組で菊池桃子さんが、

幸せな結婚がしたい。
でも、わたしはもう、普通のお嫁さんになる資格が無い・・・。

みたいなことを言って。
空耳かと想ったほど、びっくりしました。


それがなんなのか、正確に知ることはできないけれど、
少なくとも、桃子さんにとっては結婚へのわだかまりになるような、なにかがあった・・・のでしょう。
幸せになってくれるといいなぁ・・・って、以来こころの隅で、ずうっと気にかかってました。面識も無いのに(^^;


五月みどりさんの息子さんと結婚をされたとき、
「あぁ、彼は、桃子さんのこころのわだかまりを、まったく問題としない自由さを、持ってるなぁ」
って感じて、嬉しくなりました。
素敵なお姑さんと出会えたんだな、とも。




五月みどりさんの息子さんだからこそ・・・だったのが、
いまならたぶん、もっとたくさんのひとが。


無邪気だからこそ、わだかまりを抱え、
無邪気だからこそ、飛び越えられる。
そうしてたぶん、なにがほんとに大切で、なにがほんとはどうでもいいことなのか、はっきりわかっていくのかも。