{TV}復活した脳の力 テイラー博士からのメッセージ

http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2009-05-07&ch=21&eid=31163
素晴らしい番組。
言葉で表現しきれないものが、ひしひしと伝わってきた。
ことがらから、表情から、在り方から、風景から。
画面を超えて。
理屈を超えて。

左脳の麻痺と、涅槃

50歳の脳科学者・テイラー博士。
13年前、脳卒中になり。
左半球に出血。言語能力や論理的思考力が麻痺した反面、とてつもない幸福感を感じる。自分と世界との境目が無い。”涅槃”の境地。液体になったような自我。
論理脳が麻痺したことで、抑圧されていた、でも本来誰もが持っている”涅槃”を感じる力が現れた。・・・テイラー博士はそう分析している。


数学者であるお母さん。とてもセンスのいい、居心地のいいお家に住んでて、数学の問題を解くのに夢中。
お母さんとはなんだかわからない娘の病床にもぐりこみ、包むように抱いて。


何年ものリハビリ。少しづつ、出来ることが増えていく。
やがて、液体のような感覚がなくなったとき、元に戻った。
いや、芸術的感覚がぐっと増した。視覚的にイメージし、記憶し、表現する力が増した。森を散歩してると、以前にもまして、風や香りやかすかな音や手触りに敏感になった。そこで感じたことを言葉にしようとすると、すぐ言葉を見失ってしまう。


脳の、右半球と左半球、それぞれ違うやりかたで世界を捉えている。

”我思う。ゆえに、我在り”と、涅槃

印象に残った言葉がある。


『言葉が決めます。(定義・規定と言ったかもしれない) 言葉がないと自分と他の境界線は感じなかった。 私とあなたの境界、私の境界がここ(皮膚表面)にあるということが分からなかった。』


というような言葉だった。

”我思う。ゆえに、我在り。”
・・・って、もしかしたら、この現象を言い表してるのかもしれない。


この言葉を知ったときから、こういう疑問を抱いてた。
”では、思わなければ、我は無いのか?”
思考しなくったって、感覚はあるだろう。
感覚がなくなったって、存在はあるだろう。自分自身には、それが感じられなくなるのかもしれないけれど。


でもどうやら。
思考がなくなっても、意識はある。感覚もある。存在も感じる。
ただ・・・
我が、すべてと連続してる。我と他者との、境界が無くなる。だから”我”という概念がなくなる。
・・・そういうことなんだろうなぁ。

ふたりの自分・・・右脳を発揮してるとき、左脳を高速回転してるとき

ひとりの自分は、とてもゆっくりと。自分と世界を一体として感じている。
もうひとりの自分は、ここまでが自分・ここからが世界。高速にものごとを分析して思考してる。

どちらのあり方も、選ぶことが出来る。使い分けることが出来る。
いまは、ベースに涅槃を感じる自分が居る。こちらが本質。そして、左半球を高速に駆使することを、時と場合により使い分けている。


実際、博士自身も、番組内に登場するひとびとも、右半球を発揮してるときと、左半球を使ってるときと、はっきりと表情やあらわれが違う。


ところが。
小学校での、実物の人間の脳を使ってのレクチャー。
こどもたちは、右半球的本質が、しっかりはっきり現れてる。そして、接するテイラー博士たちも。
論理的な話をし、左半球使ってても、目がきらきら!
その姿が、実に魅力的。


ほんとはきっと、ひとは、こういう状態・右脳も左脳も同時に働く・で居られるんじゃないかなぁ、大人になっても。
いまは、思春期に自我を獲得するときに、左脳が右脳を抑圧して、2つが同時に全開になることを妨げちゃうんじゃぁないかなぁ。
こどもごころや無邪気さって、すっごく大切なんだと想う。

テイラー博士の書いた本。

脳卒中のひとたちの、支えと希望になってる。

脳卒中の犠牲者として扱うのか、脳卒中を生き抜いたひととして扱うのか。

そして、論理や効率ばかりが勝ってしまうことで生じた諸問題を解決するヒントとして、注目されている。
公演にて

いまあなたが考えていることは、あなたが本当に望んでいることですか?

ほんとに望んでることを、選択して、思考したりコミュニケーションをとったり。
右半球は、なにがほんとの望みかを知ってる。
左半球は、それを具現化し発展させる強力なツールとなる。


11年前、TSDというセミナーを受講する前の面接で、ふとこう気づいた。

私たちが、わざわざ別々の存在として生きていることに意味があるとしたら、
それは、おのおの違う体験を積み重ね、それぞれの視点を得、多様な角度から真実を観られるようになることだと想う。

ほんとは、すべてはひとつ。
それをわざわざ、多様に分割し、区分けし、組み合わせ、再構成し、いろんなものごとを創り出している。
どんな風にも分割できる。どんなようにも組み合わせできる。


その生きた実例に、触れることが出来た・・・そんな番組だった。