ハリーポッター

今朝の毎日新聞に乗った書評が、とても秀逸。母の愛を軸にして捉えていた。


ハリーポッターって、愛と恐れの物語だと想う。
家族愛・友情・恋愛と並んで、僕のこころに大きくとまったのは、能力にたいする恐れと執着。
秀でた能力への恐れが、マグルと魔法使いのこじれを生み、魔法使い間のいさかいや血縁や能力への執着を生む。


そして。
能力が秀でているから/劣っているから、愛されるのではない。
真実の愛は、能力とはたぶんまったく別の次元に、ある。
能力と愛を混同しているから、愛の発露にも、能力の活用にも、たくさんの混乱と、数々の不幸が生じている。
この混同がすぱっと切り分け出来たなら、人間関係のほとんどの問題が、解決されるのだろう。


能力の有無は、為したいことを為せるか為せないかが、ものさし。
なにを為したいのか、なぜ為したいのか。その原動力が情熱で、その根源が愛。



今の僕に、邪な願望や恐れがあるとしたら・・・”支配したい/支配されたくない”かもなぁ。

さらにその根底は、”認められたい/認めてもらえない”
もっと根底は、”愛されたい/愛されないかもしれない”なのだろう。


愛してくれるかくれないか、認めてくれるかくれないかは、相手の自由意志。僕の自由にはならない。
解決策は単純。すべてを愛すればいい。これは自分の意思ひとつで出来る。
すると、今この瞬間、なにを為したいのか、次にどんな瞬間を迎えたいのかが、わかる。
毎瞬、その繰り返しをしているうちに、能力が磨かれる。


勝海舟のことばが、福田総理の座右の銘として昨日紹介されてた。

「行蔵(こうぞう)は我に存す、毀誉(きよ)は他人の主張、我に与(あず)からず我に関せず」

もっとも、すべてを愛することが出来るひとが居たとしたら、そのひとは神様かもね。
なにを愛して、なにを愛せないのかが、私たちの個性なのかもしれないなぁ。


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