公平と幸せ

友人の娘さんの、校外学習にて。

ファミリーレストランでパフェ作りを体験し、「どうぞ食べて」といわれたが、「物をもらっちゃだめ」というルールのせいで、ことわった・・・そうな。


結果、子供たちも不幸、レストランの人たちも不幸。
誰かが幸せになるのは不公平だから、みんなで不幸せになろう”みたいなこと、多いよねぇ。
非生産的というか破壊的というか。
そんなアホな事にエネルギーを使うのをやめて、如何に互いを幸せにするかに創造性を発揮すれば、あっというまに日本は幸せに満ちるだろうに。


日本は、貧富の差が少ないにもかかわらず、「不幸せだ」というひとが圧倒的に多く、
メキシコは、経済的に困窮する人が多いにもかかわらず、「幸せだ」というひとが圧倒的に多い
・・・という新聞記事が、昨年末にあった。


アンベ・クアトロのマスターからの年賀メールに、メキシコ大使館からいただいたという、どっきりカメラみたいな番組の動画が添付されてた。
家具屋に展示されたベッドのひとつに、仕掛けがしてあるんだけれど・・・
ベッドの感触を試すに当たり、みなそれぞれ個性的に、実に楽しそうにベッドに飛び込む。あぁ、一日の終わりを、こうして迎えてるんだろうなぁ。
そして、仕掛けでひどい目にあったとき。みなそれぞれのとても素敵な笑顔。みじめな状況を自分で笑い飛ばしている。
うん、こんな風に、生きることの楽しみ方を知ってるひとたちなら、人の幸せを心から喜び、援助するだろう。そうしてより大きな幸せを、創っていくだろう。


公平って、
みんなが同じ境遇になることじゃなくって、
幸せを生める機会が来たときに、即、創造力を発揮する権利を、みんなが保障されてるってことなんじゃなかろうか。