ISBN:4001140012
を本棚に発見。長男に薦め、読ませる。


その間に、長男がやりかけてた問題集

  • Logical Thinking現代文 LT1 浜島書店

を読む。出題文、どれも素敵。

  1. 「宇宙人」としての人類 手塚治虫 出典「ガラスの地球を救え」

だから、ぼくは宇宙ステーションや月面で生まれ育った子どもたちに期待しているのです。彼らは生まれながらに、宇宙での人間の小ささ、力を合わせていかねば生きられないこと、そして、人間がいちばん偉いのではないこと、眼下の地球に生きる動物も植物も人間も、みんな同じように生をまっとうし、子孫を生み続けていく生命体であるのだと、まっすぐに受けとめることができるように思います。(中略)その時こそ、やっと人類は宇宙の一員になれるのかもしれません。

  1. 仲間以外はみな風景 香山リカ 出典「若者の法則」

では今後は、たとえば電車の中などでは、どちらを標準ルールとすればよいのか。「それぞれが他人の目を意識せずに好きなことをする」という若者ルールの方か、それとも「他人の目がある公共の場では、やってはいけないことがある」という大人ルールの方か。
私自身は若者ルールにシフトしていくのも仕方ないではないかと思う一方で、「それは意外にむずかしいことかもしれないな」と感じている。なぜなら、「他人の目を意識しない」ことは簡単だが、「自分も他人を意識しない」ことはかなり高度なテクニックを要するからだ。

  1. 便利なものは必要ない 池田晶子 出典「目で見るものと心で見るもの」

便利さとは実は、決して必要からの要請ではなく、所与のもののあとかたの承認であるということだ。与えられて、初めて人は気づくのだ、「これは便利だ」。
(中略)
その便利さが生活と生存に必要不可欠と思うに至る転倒がなぜ起こるかというと、答えは至極単純である。なんのために生きているのかを考えずに生きているからである。

  1. 野茂英雄、あるいは「越境」の法則 リービ英雄 出展「日本語を書く部屋」

ロサンジェルス・タイムズ」は、野茂を地域のヒーローとして捉えている。
日本では「日本野球がアメリカの野球のレベルに追いつき、追い越した」という論調が盛んであり、一方、たとえば「ニューヨーク・タイムズ」は「日本の窮屈な管理野球から、われわれアメリカ人が野茂を救ってやった」と主張している。だが、これらはいずれも一面的な見方であって、日米ふたつの解釈の中間に真実があるのではないか。
(中略)
越境そのものによって、超えてゆくことによってはじめて、あるパワーが見えてきたのだ。

  1. なんでもない読書 加藤典洋 出典「みじかい文章」

私は「シートン動物記」と出会ったのではなくちょうど森に入るように気がついたらそのなかにいた。いつのまにかそこから出てしまったが、気がつくといまは私が森でそのなかに「シートン動物記」がある。
この本で人生が変わった、という読書体験が私の中にもないわけではないようだ。でも結局私は本よりも本以外のものに、自分を作られたという気持ちが強い。するりと壁を抜けるように、本の中に入り、いま、その本が忘れ物のように私の中にある。出会った本というのではないが、「没入」した本というのがありそうである。

  1. 二足歩行と言語機能 中田力 「脳の方程式 ぷらす・あるふぁ」

知性を獲得した哺乳類の進化が、音楽を獲得した鳥類の進化と交差したことから人類が生まれた。

前足が高度に進化→小脳の進化=制御装置の高度化→声を出す運動系も高度な機能進化

  1. 子どもの哲学 永井均 出典「<子ども>のための哲学」

子どもの哲学の根本問題は、存在である。(中略)ここでは問いは、どうしたらよいのか、ではなく、どうなっているか、というかたちをとる。
(中略)
青年の哲学の根本課題は、人生である。つまり、生き方の問題だ。いかに生きるべきかーこのひとことに青年の問いは要約される。
(中略)
大人の哲学の最重要課題は、世の中のしくみをどうしたらよいか、にある。
(中略)
老人の哲学の究極課題は、死であり、そして無である。
(中略)
こと哲学に関するかぎり、青年は子どもに、大人は青年に、そして老人は大人に、かなわない。だが逆に、子どもの哲学は、老人の哲学にだけは、かなわないだろう。そこに哲学というものの限界が示されている。

そして、子どもの哲学こそが最も哲学らしい哲学だと著者は指摘する。

  1. 科学技術が社会の信頼を得るために 長尾真 出典「「わかる」とは何か」

今日の科学技術のほとんどあらゆる分野が、アナリシス(分析・解明)の時代からシンセシス(合成・創造)の時代に入っていきつつあると考えられる。
(中略)
したがって、今日の科学技術においては、価値中立ということはありえず、わたしたちがつくりだすものについてははっきりした責任を負うべきであろう。

  1. スポーツの深い世界 斎藤孝 出典「「できる人」はどこがちがうのか」

ここで問題にしたい頭の良さとは、学校の教科のデキではなく、どのような場におかれても自分が上達する筋道が見える力のことだ。この力は、よくわからない世界に放り出されても、仕事のやり方をまねて盗み、自分の得意技を磨いて全体の中でのポジションをゲットしていく力である。
(中略)
スポーツは、「上達のミニチュアモデル」を獲得するには最適である。(中略)諸限定によって、必要な技が確立されやすくなる。求められる技がはっきりすれば、その技を身につけるための練習法が考案される。

  1. 表紙からのメッセージ 山田ズーニー 出典「伝わる・揺さぶる!文章を書く」

17歳へ向けた教育誌の編集をしていた私は、表紙に力を入れていた。

まずは、自分の感性だけで。自分は気に入るけど、読者はどうだったろう?
やがて、十数名の17歳とサンプルを見ながら話し、相手の感性に合わせてつくっていく。1年もしないうちに行き詰まりを感じる。

相手に聞いて、相手の要求にはまったプレゼントをあげるということは、裏を返せば、「相手は放っておいても自分でそれを買ったかもしれない」ということだ。

相手の日常に埋没したものになってしまう。自分という存在が、関わる意味が無い。

コミュニケーションのために、相手をよく知り、理解することは大事だ。だが、問題はその先、「だから、どうするか?」だ。
(中略)
自分という存在が関わることで、相手の新たな引出しを開けるのだ。

  1. 以心伝心を求める日本人 森田良行 出典「日本人の発想、日本語の表現」

はっきりそれと言葉でいってしまえば十の内容は十でしかないが、十の言葉を六、七に節約し、あるいは曖昧にぼかすことによって、十五にも二十にもなっていくという発想、余白の効用ともいうべきこの以心伝心のコミュニケーション

  1. 子どもたちに主体的な時間を 河合隼雄 出典「新しい教育と文化の探求」

主体的に十分体験したものは、常に早く「卒業」する。
ところが、いろいろと親の介入が合って主体的にテレビを見ていない子どもは、なかなか卒業できない。
(中略)
主体はテレビや時間のほうにあって、子どもは受身の立場にたってしまっているのだ。
(中略)
放任の中から主体性は出てこない。
(中略)
テレビは見たいが勉強はどうするのか、父親は野球が見たいが子どもはマンガが見たい、これをどう解決するか
(中略)
これらの葛藤と対決していくことによってこそ主体性が得られる。
(中略)
子どもに充実した時間を与えてやろうと思いすぎるあまり、一時間のうちに「このこともやらせよう」「あのことも教えてやろう」と思って、
私たちが、時計で測る「時間」にとらわれ、「能率」ということにこだわり始めると、「能率的教育法」という美名のもとに、子どもたちの主体的時間を奪ってしまう危険性が生じてくるのである。

星の王子さまを読む

花、王さま、実業家。