どのレベルに正直か

正直に生きる・・・って、いったいどういうことでしょうね。
正直な人・・・って、どんな人でしょう。


喜怒哀楽が、感じたまま、前面に出ている人かな?
感情にふりまわされて生きる・・・のは、正直な生き方でしょうか?
なるほどそれも、ひとつの正直さ。
でもね、

「あなた、このままの生活を続けてたら、3年以内に死にますよ」と医者に宣告されたなら。
大多数の人は、嫌で嫌でたまらないことでしょう。あと3年なんかじゃ短い。もっと長く生きたい。
ここで選択があります。

1. 生き方を変える

2. 「この医者、嫌な奴だなぁ。こんな奴の言うことなんか、信用できるか!ほかの医者に診てもらおう・・・えっ、やっぱりあと3年?大体医者なんてみな、虫が好かないやつらだ。もう医者になんか行くかっ!!!」
BigLoveの日記:「好き嫌い」で人生を運営することの危うさ

の2.って、ほんとの望みに正直ではないですよね。


辛い想いをしているときに、それを感情のまま投げつけるよりも、悲しみを抑えて静かに語るほうが、想いが正確に伝わったりもします。
後者のほうが、正直な表現だ、とも言えるかもしれません。


なにに正直なのか。

  • 感情
  • 思考
  • 思い込み
  • 願い
  • 祈り
  • からだ
  • 欲望
  • 情熱


たぶん、いちばん深いレベルの正直さだといえるのは。
磨きに磨きぬいた「夢」に正直であること。


磨きに磨きぬいた「夢」には、いろんなレベルの正直さが、より深い願いになって結晶している。
そういえるんじゃぁないでしょうか。
「創造的ギャップ埋め」を選択する生き方って、「夢」に正直な生き方。
歩くうち、どんどん「夢」が磨かれてゆく。


「破壊的ギャップ埋め」を選択すると、自分のある側面には正直なのかもしれません。
でも、ある側面は壊してしまう。特に「夢」を。


天然さんは、「感情や思い込みに正直」なレベルを、脱してみたようですね。
すると、たとえばこんなことが起きます。

一人で、仕事をしながら、突然物凄く幸せに感じたのです。

一人と言っても、周りには沢山の人がいて、

カメラマン・照明さん・大道具さん・小道具さん・製作さんがわんさか居ます。

沢山の人が協力をして、一つのモノを造っている現場に溶け込めたような感じがして、突然とてつもない幸福を感じました。
So-net blog:花詰まり:2006-06-05:幸福感

自分と、世界とが、つながった感覚。
感情のバリアで遮っていたものが、ありのまま感じられるようになる。


天然さんがどう変わったからなのか。ただのこれだけです。

少し我慢をしようと決めました。

感情の赴くままに行動することを、感情の赴くままに不機嫌になること。

そうしたら、

私の周りの人が、自分を自由に表現できるかもしれない。

私の周りの人が笑ってくれるかもしれない。
So-net blog:花詰まり:2006-06-05:幸福感

「感情に正直」から脱して、「夢に正直」になることにした。
ただそれだけ。
でも、これこそが、とっても大きな変化なんです。