思春期とファンタジー

子供は、ファンタジーに守られてる。
大人は、ファンタジーを創造する。
思春期は、その移行期。ファンタジーを創造する能力はまだ無いけれど、守られる立場から創造する立場に移行しなきゃいけないってことは知っている。


この思春期のギャップの埋め方が2つ。
素敵なファンタジーを提供できるように己を磨く・・・のが建設的な選択。
「ファンタジーなんて嘘っぱちじゃないか」ってぶち壊して、世界のほうを貶める・・・のが破壊的な選択。
愛の無い赤ちゃん創造作業にふけったり、ミッキーぶん殴ったり。
「赤ちゃんをコウノトリが連れてくるなんて、嘘だ!」「ミッキーの中には、人がいるんだぜ!」


嘘じゃないんだよ。


ファンタジーでしか表現できない真実がある。
おたまじゃくしと卵が・・・とか、穴と棒をどうのこうの・・・では表現しきれない、ほんとうに大切なもの。それを、コウノトリの伝説は表現してる。
ミッキーも、サンタクロースも、そう。

選択肢がある。

「世界に俺が何を提供するか」に興味をむける、創造的な生き方と、
「世界が俺に何をしてくれるか」に興味をむける、好き嫌いに支配された生き方と。


幸い僕の周りには、「世界をどんなふうに素敵にするか」に一所懸命になっている大人たちが、たくさん居た。
「あぁ、世界の素晴らしさって、こうして提供されてたんだ。俺もまだまだ未熟だけれど・・・なにかしら世の中を素敵にしていくぞ!」
舞浜にも、そんな人たちがたくさん居るよね。人生を賭けて、素敵さを創造してる。汗を流し、工夫を凝らし、全身全霊を賭けて。「あぁ、俺も」って想う。だから僕は、舞浜が大好きだ。