阿頼耶識

という仏教用語を、今日ひょんなことからはじめて知った。
意味をググって調べてみると・・・うーむ、最近の心理学で判ってきたこと、そのまんまじゃないか!!!

  • 初めに日本へ渡来した仏典に、阿頼耶識(あらやしき)という言葉があった。阿頼耶識は現代で言う深層意識のことである。人の心の奥底にひそむ無意識層である。
  • 阿頼耶識は、また一切種子識(いっさいしゅうじしき)とも呼ばれ、そこに宿った思念は、やがて開花し、実を結ぶ。すなわち、それは実現するのである。
  • 実現するものは、望むものか、恐れるものかのどちらかである。いずれにしろ、強く思念されたものである。
  • 自分の気分を明るく暖かいものにし、他人も自分も共に幸せになるよう、願うならば、誰もが幸せになる。しかし、他人が不幸になっても、自分だけ得になればいいと、思っていると、自分に災害が訪れる。
  • 幸せになるのは簡単である。自分も他人も幸せになるのを願えばいいのだから。
  • 無理やりに力を入れて、成功しようとしない方がいい。それよりも、その願いを阿頼耶識に託し、日々を楽しく暮らすことだ。すると、それは、きっと叶ってくる。
  • 他人を自分の意志で、思ったように変えようとするのは危険である。それは、お互いの阿頼耶識が争うからだ。
  • 現在のあなたの人生の状態は、かって、あなたが阿頼耶識に投入した思念の結果である。それは、人や環境のせいではない。あなたが考えていたことがタネとなり、稔った果実なのである。
  • 自分が豊かになることを思念し、それを、繰り返し阿頼耶識に入れることだ。豊かになった幸せな気分を、先に満喫することだ。そうすれば、だんだんと豊かになってくる。
  • あなたと、あなたの友が、共に豊かになることを願えば、あなたは倍の早さで、豊かになる。
  • 阿頼耶識には、善悪を考慮する力はない。だから、あなたにとって不利な願いでも叶えてしまう。例えば、反社会的な欲望でも・・・。気をつけることだ。
  • 阿頼耶識を良く動かすために必要なのは、思考よりは、むしろ気分である。根アカで暮らし、感謝に満ちた生活を送ることだ。
  • 人の不幸は、正義を主張した瞬間から始まることが多い。思うに、正義とは、黙して行なうものである。他人に行なうことを強いるものではない。
  • 世に正義が行なわれるように、祈るべきである。そうすれば、それ阿頼耶識に入り、他の人の阿頼耶識と連携して、正義は現れて来る。
  • 何事であれ、人を強制してまで、自分の欲するようにするべきではない。欲することは、外に向かって求めるべきではなく、内に向かって、祈るべきである。
  • 人の不幸は、愛を求めた瞬間から始まることが多い。思うに、愛とは、まず与え始めることである。すると、それは相手の阿頼耶識に入り、新しい愛の花に成長することもある。
  • 欲するならば、まず、諦めることである。直接、外部に求めることを諦めるのだ。そして、阿頼耶の中で、それが得られたことを夢見ること。そうすれば、それが得られてくる。
  • 大きな願いが叶う時期が近づくと、小さな良いことが、次々と起きてくる。それは、阿頼耶識からの前兆である。
  • 自分が選んだ人生を目指し、今を生きるのが、最高の人生である。

これらの言葉、最近舞浜で不思議としょっちゅう出会ってしまう皆さんには、実感をともなってわかるんじゃぁないかなぁ・・・。