創造力の泉・こころの本質・ほんとうに大切なものに触れる

友人の天然さん。
なぜだか、朝からイライラ。その状態で、何とか仕事を終え、打ち合わせへと移動・・・

電車に乗って、瞼を閉じる。

私の行ってみたい、楼蘭王国の周辺で、黄砂にまみれて、大の字になって寝ている自分を何故か想像している。

黄砂で体がジャリジャリになりながら、360度見渡せる世界と、馬の蹄の音を大地に感じ(勝手に想像)、ワクワクする。

目的地に付くと、何故かスッキリ!!イライラがなくなっている!!

そしてそのあと、待ち合わせも打ち合わせも、とっても有意義に進行して。

私は、狭いのが嫌い!!。

それは分かりました。

自分で、自分を広げられたらいいのでは???

この天然さんの記事を読んで、ヴィクトール・E・フランクルという精神分析医の体験談を連想しました。


フランクルさんはユダヤ強制収容所へ送り込まれました。
ある凍てつく冬の未明。下水道掘りの強制労働へと隊列を組んで歩いていたときのこと。
靴はぼろぼろでもはや靴とは呼べない代物。足指のしもやけがあかぎれになり、手当てなんてしてもらえないから、さらにつぶれて膿んでぐちゃぐちゃ。一歩一歩、足を踏み出すたび激痛が走ります。
栄養も睡眠も不充分。こうして歩いている仲間達から、今日も何人か死者が出るでしょう。それは自分かもしれない・・・。
その時ふと、妻のことを思い出したんだそうです。収容所に着いたとき離れ離れになって以来、もはや生きているかどうかすらわからない妻。その妻の面影が、ありありと浮かんできた。まるで今、ここに居るかのように!!!
そして、形容が出来ないほどの暖かさと感謝と歓喜に包まれたんだそうです。今、極限といえるほどの悲惨な状況に居るにもかかわらず。
・・・この体験で会得したなにかのおかげで、彼は奇跡的に生存することができたんです。
詳しくはぜひ、彼の名著 「夜と霧」 ISBN:4622039702 をお読みください。


フランクルさんは戦後、収容所での体験や観察を元に、人生の意味や生き方について提言をしています。
そのひとつが、”Be-Do-Have”という生き方。


Do・なにかをすれば→Have・欲しいものが手に出来て→Be・幸せになれる
Have・あれを手にすれば→Do・こんなことが出来るようになって→Be・幸せになれる
私たちは、ついこんな生き方をしてしまいがち。
でも、強制収容所では、この考え方から抜けられなかった人々は、あっという間に気力を失い、健康を損ね、亡くなっていったんだそうです。


フランクルさん自身が凍てつく冬の朝に体験したように、また、天然さんが電車の中で体験したように、私がのぞみ号の中で体験したように。
私たちの心って、私たちの選択次第で、現実の前提条件なしに・過酷な状況下でさえ、いきなり大切ななにかに触れ、至福を感じることが出来ます。それはこころの本質・創造力の泉とでも言えそうな、なにか。
マズローさんの言う「至高体験」、アンドレアス夫妻の言う「コア・ステートメント」、アドラーさんの言う「共同社会感情」スターウォーズで言う「フォース」(^^)


Be・幸せであれば→Do・行動が的確になり、出会うべきことに出会って→Have・気づくと大きな成果を手にしている
この生き方でこそ、人生の意味を最大限まっとうすることができる。たとえ環境が苛酷であったとしても。恵まれていればなおさらに。


行動や、得たものの結果として幸福感があるのではなく、
幸福感が、行動や結果を生み出す源だ
・・・そんな風にもいえるのかも。


晩年のフランクルさんにお会いした方が、「こう語ってくださったんだ」と教えてくれました。

強制収容所では、DoもHaveも、極端に制限された。肉体も、生命も、自分の思い通りには出来ない。
でもね、どんな環境下でも、Beだけは、あなた次第。誰もその輝きを奪うことは出来ないんだ。あなた以外の誰も。

強制収容所という過酷な環境下でも、誇り高く生きた人たちが居た。
そのひとたちに共通していたのは、Beをしっかり持っていたことなんだそうです。


おめでとう!天然さん。
あなたの体験したそれが、Be-Do-Haveという生き方です。



フランクルさんは、ついに奥さんと生きて再会することが出来ませんでした。
肉体は滅びても、奥さんの存在は、フランクルさんとともに在り、彼を救った。
今度ブラヴィッシーモ!を観る時、このお話を思い出しちゃいそうだなぁ・・・。


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