毎日新聞朝刊 今週の本棚「神々の沈黙-意識の誕生と文明の興亡」ジュリアン・ジェインズ著 養老孟司評

このところ繰り返して書いている「ありのままと意識のズレ」に関連する書評が今朝の朝刊に。メモ。

本書の第一部は、意識がいかに限定された脳の機能かを論証する。これは現在の知見に照らしても正しい。ただし普通の人がそう思っていないことは、よくわかっている。現代では意識が神であり、意識されないものは、公式には「ないもの」であり、「いわなきゃわからないじゃないか」と言う世界である。意識が恒久的に失われた人は脳死であり、ゆえに生きながら死者である。
第2部では紀元前のある時期までは、その意識は存在しなかったことを、ていねいに論証する。特にメソポタミア文明と、ギリシャの叙述詩に関する論及が長い。

えっ!「意識」の誕生って、そんなに新しかったのかっ!!!

現代における「意識中心主義」は、ほとんど病膏盲の域に達している。科学はまさに意識以外のものを否定する。意識以外のものがあるなら、それは「意識化されなければならない」からである。それが蔓延した社会で「理科系の大学院まで出たのになぜ」というオウム真理教事件が起こる。意識中心主義を詰めていったら、本当にオウムは生じないのか。オウム事件の被害者、加害者は、果たして意識的理解によって救われるのだろうか。
著者の書物もまた、現代的意識の産物である。しかし著者はそれを「知っている」。そこが重大な点なのである。近代意識の前提は、自分がなにをしているのか、各人がそれを知っているということである。近代科学者は本当にそれを「知っている」のであろうか。

100年少し前、無意識の発見により、人間は自分の行動の本当の理由をほとんど知らない・・・ということがわかった。
人はなにかの目的があって、自分を動かす(感情がでてくるのもそう。たとえば、なにか外部に影響を与えたいから、怒りという感情を発動させる)。ただし、ほとんどの場合、その目的を意識していない。無意識の領域にある。
意識されてることだけが世界の全てだと捉えていると、ありのままの世界やありのままの自分の望みとのギャップがどんどん大きくなる。そして、自分を苦しめる。


感覚器や感性や観測機器や実験器具が、ありのままの世界を感知する。
精度が上がればあがるほど、世界の実相が深く観えてくる。
意識がそれをモデル化して、応用可能な形にする。
よく出来てるモデル(理論)は、未来の予測や、未発見の現象の推測を可能にする。でも、それはありのままの世界そのものではない。例外もあれば、限界もある。ニュートン力学で全てを語れないように。


ありのままの世界も、ありのままの自分も、どんどん変わっている。
感知する手段も、どんどん進歩する。感性は磨けるし、観測機器も精度が上がる。
なのに、古いモデルについ固執しがち。
慣れ親しんだ古いモデルで世界を解釈したがる。解釈できない事項は無視。下手すると、現実をモデルに合わせて歪めようとしちゃうことも・・・。

人間は骨盤が小さい為、多くの動物と違い、未熟児の状態で生まれる。生まれて一年は、他人にたくさん世話にならないと生きていくことが出来ない。「ひとは一人では生きていけない」と、この時期に学ぶ。生後一年はまぎれもない真実。
成長につれ、他人の存在を必要としない局面はどんどん増えてくる。なのに、ひとから見放されることを必要以上に恐れる。なんとか他人の関心を自分に引き付けようとする。それが人間の特徴。

といったことが、先日読んだ本に書いてあった。帰宅してから正確に書きます。
量子の世界をニュートン力学で見ようとするようなことを、私たちは自分自身に対して、たぁくさんしているのかもしれない。