「自分の人生を自分で決められる」子を育てるには

良い子ってどういう子をいうのだろう?

親にとって都合の良い子・・・であることが多いですね。

私は今子供を育てていてどういうときに子供を誉めるだろうと考えた。
お片づけできたとき
ごはんをちゃんと食べたとき
挨拶が出来たとき・・・。
この子は誉められたくてやっているのかな?
私のように「良い子」を演じているのかな?

つい、「XXちゃん偉いねぇ!!!」って褒めてしまうでしょ。アドラーという心理学者の流れを組む人々は、こういう親の言動を「勇気くじき」と呼んでいます。
「勇気くじき」・・・わかりにくい訳語ですよね(^^;
「自分の人生を自分で決める」という意欲をくじかせてしまう・・・といった意味のようです。


なぜか。
「XXちゃん偉いねぇ!!!」って言うとき、同時に、
「XXちゃんの価値の高低を評価するのは、私、親ですよぉ」というメッセージを伝えているからです。
対等な人間としての、メッセージではない。子供を自立した判断力のある人格として扱っていない。
だから、「そうか、私が偉いか偉くないかは、親が決めるんだ・・・」と子供は思い込んでしまう。怖いですねぇ・・・。


では、どういえばいいか。
「わたしメッセージ」を使え、と説いています。
「お片づけしてもらうと、わたしはとっても楽。ありがとうね!」
「挨拶してくれると、さわやかな気持ちになって、わたしはうれしいな。」


いわれてみれば、「あっそうか!」ですよね。
ただし、親が、自分自身を厳密に・真摯に観察する必要がある。
今の瞬間、なにを感じ、なにを望み、なにを根源的に大切にしているのか。一人の人間として。
たとえば。
「ごはんを全部食べてくれてうれしい。」それは、なぜなのか。
片づけが楽になるから、かもしれない。
子供の欲する以上の量を、無理やり食べさせようとしているかもしれない。
子供と対話をしながら、必要な量を見切るという作業を、サボっているのかもしれない。
創ってくれた人、犠牲になってくれた命への感謝の想いからかもしれない。
「わたしメッセージ」で対話しようとすると、そういったことがすべてあからさまになります(^^;;;


たぶん、だからついつい、親は「子供が良い・悪い」のだと言いたがるんでしょうね。
ほんとは「わたしの良い・悪い」を問わねばならないのに。

ISBN:4795234701
7年ほど前、友人に「インタビュアーとして、どんな在り方で人と接するか、とっても参考になるよ」と薦められた本です。
そしてもちろん、子育てにも参考になりました。


でもね、実際子供を育ててみると、いかに褒めたがる人が多いことか。妻の両親、先生、近所の人々・・・そして、ついつい自分たちも。
わたしの母は、幼児教育で先進的だった学校で学び、心理学に出会い、自分自身が「良い子」に育ってきて、その弊害をたくさん受けていることに気づきました。孫との接し方を見ていると、「わたしメッセージ」を使うことが、実に自然に身についている。
そんな親に育てられてなお、わたしは「自分が何をしたいかわからない・人の期待に応えることばかり気にする」しっぽを引きずっていました(^^;;;
人類がこのくびきから解放されるのに、数世代かかるかも!


(4/11追記)勇気づけと勇気くじきに間して、わかりやすく書いてある文章を見つけました。

勇気づけ


 まわりの人がいらいらしたり、あるいは場合によっては本気で腹を立ててしまうような行動に対しては注目をしないでおきます。しかし、これだけでは実は事態はまったく変わらないか、あるいは以前よりも悪化してしまうことがあります。なぜなら、それまではせめて叱られていたのに、そういう形での注目すらなくなってしまえば、子どもはたちまちパニックに陥ってしまうからです。

 ですから、このような行動には注目しない一方で、適切な行動には注目したいのです。そうすれば、適切な行動をすれば認められると感じることができた子どもは、やがて、適切な行動をしてまで、そしてその結果、親から叱られるようなことをわざわざしなくてもいいことを、やがて学ぶようになります。

 しかし、ここで注目するということは、「ほめる」ことではありません。私は子どもを罰したり叱ったりしていません、ほめていますといわれる方は多いのです。しかし、ほめるとはどういうことでしょうか?

 たとえば、夕食を用意します。家族が帰ってきて、一口口にしてこういったとします。「おいしいね。おまえもやればできるじゃないか。すごいね。よくできました。パチパチパチ」かなり誇張していますが、こんなふうにいわれたら普通の言語感覚を持っている人はあまり愉快ではないと思うでしょう。しかし、これこそがまさに「ほめる」ということです。子どもに対してはこのような言い方をしています。しかし同じことを子どもからいわれたら腹が立ちます。「お母さんだってやればできるじゃないか」と。このようなことは言葉じりの問題だといわれるかもしれません。しかし、このようにいえるということは、相手との対人関係の構えが基本的に縦関係であることを表しています。ほめるというのは、能力がある人がそうでない人に、あなたは<よい>と相手を判断、評価する、上から下へと向かっていう言葉であり、その時の人間関係の構えは縦関係なのです。

この「適切な行動・不適切な行動」というのも、アドラー心理学の用語です。うまくいく行動、うまく行かない行動と言い換えてもいいかもしれません。
で、適切・不適切の判断に、親のエゴが入り込みやすいから要注意・・・ということも、ご紹介したページの後ろのほうに書いてあります。