毎日新聞朝刊 論点 若者の生きがいと格差社会

表題のテーマで、曾野綾子さん・山田昌弘さん・山本一郎さんの3人がそれぞれエッセイを書いている。
曾野綾子さんの「日本ほど格差の少ない国はない」こそが真実だと想う。

日本の若者が貧しい点は、人生の苦悩の使い方を知らないことだ。苦悩を乗り越える勇気や、苦悩を通してのみ発見する光を信じない。自分のためだけでなく他人のために働けることこそ光栄であり卓越した人の証拠なのだが、それを損と感じて回避する。
(中略)
私が悲しむとすれば、日本の若者は本質的に有能なのに、親も教師も当人もその底力を本気で伸ばす意欲も無く機会も与えられていないことだ。(曾野綾子さん)

至言だと想う。
恩師の言葉「葛藤こそが人を成長させるんだと想うなぁ」を想い出した。それに応えて、僕は「成長するってことが、人生の意味なんじゃないかと、数年前、ふと想ったんです」って話したんだったなぁ。
そして、底力を伸ばす機会なんて、求めれば、いくらでもある。それは、与えられるものではないのかもしれない。


山田昌弘さんはこう問いかける。

将来、彼らを支えていた親が亡くなったり、アルバイトも十分に出来なくなった時、本当の「格差」が出現する。より豊かな生活どころか、彼らの親が享受していた生活でさえも不可能になる。好きなことをする経済的余裕さえなくなるだろう。今の若者は、「好きなことをしてきたのだから、人並みの生活が出来なくても本望だ」とその時言う覚悟ができているだろうか。

果たして、豊かな生活が、生きがいでありうるのだろうか。
同時に。「好きなこと」というのは、少し浅いのだと想う。人生かけて、成し遂げたい何か。自分の存在理由。好き嫌いを超えて。


山本一郎さんのが、一番浅いかなぁ。
たとえば「我が国の社会が、適切な形で若者に展望ある道筋を教導できなくなった」・・・社会に教導してもらうもんではないだろうと想う。「立派な軍人さんになりましょう」なんて、真っ平ごめんだなぁ。
「安心と幸福を保証する手段」そんなものは、はなから無い。保障できるという幻想なんて、ぶち壊れて幸いだ。
いや、まてよ。山本一郎さん自身も、そう想っているのかも。

繁栄を達成してしまったがゆえに飢える心配が無くなって、ではそこから何をこの社会は実現していくのかという議論が足りない。

足りないかどうかは別として。飢えがなくなった稀有な国として、今、世界に対して為すべきこと、果たせる役割って、たぁくさんあると想う。
アインシュタインは日本びいきで、「日本は和と高い精神性で世界のリーダーとなる国だ」と言っていたそうだけれど。環境問題・老齢化・資源問題・平和、いずれも真っ先に影響が現れる国だけに、世界のテストケースとなれる。